現代アートとその評価

 

「現代アートは難しい」。よく言われることだが、なぜ現代アートは評価が難しいとされるのだろうか。

 アートの歴史はマルセル・デュシャン「泉」前後に分けられるといわれる。「泉」は小便器に泉という文字とサインが描かれた作品である。彼が打ち出した既製品を組み合わせたアート、「レディメイド」の概念は、アーティストを生産者から選別者へと変身させた。誰もがアーティストになりうる世界だからこそ、現代アートは目の前にあるだけのアートで完結せずにコンセプトが内包されねばならない。作品には意味が込められ、それを読み解き評価するために作家の歩んできた人生までもがジャッジの対象となる。今日、アートはアート単体で存在できない。作品を評価するためには作品の意味を知る必要があり、ゆえにアートの知識や作家自身の情報を得なければならないという、一種の強迫観念のようなものが我々を襲う。だから「現代アートは難しい」。そういった情報量の多さに当てられるからか、私は現代アート展に行くと疲れが普段の倍に感じられる。

 それでは一体その「難しい」現代アートについて、我々はどこに注目し、どう評価すればいいのだろう。現代アートは、鑑賞者の能動的な解釈を踏まえて完成するといわれる。もちろんアート史を踏まえた上で社会に興味を持ち問題提起を読み解くのが理想なのであろう。だが、小便器がアート!? なんか笑える、そのくらい直感的な評価でもいいのではないか。鑑賞者の解釈や反応も含めて一つの作品として成り立つのが現代アートであり、良くも悪くも我々にも評価は委ねられているのだから。

 

参照:河出書房新社「現代アートとは何か」,小崎哲哉,2018


S.H

 

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